校章のいわれ


 八咫の鏡(三種の神器)のなかに、 赤穂八幡宮と同じ”左三巴”を配し、中心に小学校を表す”小”の文字を置いている。

 これは、明治6年、尾崎八幡神社の祠官の住宅から出発した本校の歴史を如実に物語っている。明治6年当時の祠官は中村恒久氏(文政6年生)であり、地域の子弟の教育に大変熱心であったと伝えられている。

 尚、校章制定の年月は不明であるが、次の事実により、明治38年以前と想定される

[学校沿革史より]
・明治38年1月10日
「校旗ヲ制定ス、村長 山本了祐 出席セラレ授与式ヲ挙行セラル」
・明治41年5月1日
「昨年12月31日ノ受賞記念トシテ校旗ヲ作リ八幡神社ニ奉納シテ之ヲ受ケ訓練ノ資トス」


学校紹介のページにもどる