兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-

文化財行政の施策展開

■赤穂市総合計画(平成23年〜32年)■

(文化財関係部分を抜粋)

1 赤穂市の姿

(1)概況
 本市は、兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置し、東は相生市、西は岡山県備前市、北は赤穂 郡上郡町と接する面積126.88kuのまちです。
 市域のほぼ中央を名水百選にも選ばれた清流千種川が流れ、北には緑豊かな山々が連なり、南に は瀬戸内海国立公園の美しい海岸線が広がっています。
 市内には、JR山陽本線に1駅、JR赤穂線に4駅があり、このうち、JR播州赤穂駅は、市の 玄関口として、通勤・通学等で多くの市民が乗降し、観光客にも多く利用されています。また、山 陽自動車道、国道2 号、国道250 号、国道373 号などの幹線道路が走り、広域交通アクセスが確 保されています。

(2)気候
 本市の気候は、晴れの日が多く(年平均200 日程度)、雨が少ない(年間の総雨量は1,000mm 程度)典型的な瀬戸内海型気候区に属しています。

2 赤穂市の沿革

(1)中世以前
 先土器時代から古墳時代にかけての遺跡が有年地区で数多く発見されています。とりわけ、東有 年・沖田遺跡は、弥生時代中・後期、古墳時代後期の竪穴住居などの遺構・遺物が多数出土し、相当 規模の集落があったことを物語っています。
 弥生時代中期には塩屋堂山に農耕集落が形成され、稲作が始まっています。“赤穂塩”として全国 にその名をとどろかせた製塩の歴史は、この頃の「土器製塩」と呼ばれる製法にまで遡ります。

(2)近世
 近世に入ると宇喜多氏の領地となり、加里屋を中心に赤穂地方の支配が行われ、千種川河口の中 広南部と坂越港が発展していきました。江戸時代には、池田氏の支配を経た後、浅野氏が笠間より入封し、寛文元年(1661 年)に赤穂城が築城され、城下町が形成されました。この時期、入浜式塩田が発達するなど塩田開発も盛んに行われ、塩の生産を基礎とする藩の経済政策が確立されました。

(3)明治
 明治に入ると廃藩置県が行われ、赤穂藩は赤穂県、姫路県、飾磨県を経て兵庫県に編入されました。明治22 年(1889 年)の町村制の施行後には、赤穂町・高雄村・有年村・坂越村・尾崎村・新浜村・塩屋村の1町6村となりました。

(4)昭和
 昭和に入ると、南部の臨海地域に紡績工場等が進出し、工業都市としての様相を帯びてきたこと に加え、臨海部を通過する鉄道建設計画などの広域的な行政が必要となってきたことから、町村合 併への気運が高まり、赤穂町・尾崎村・新浜村・塩屋村の4町村が合併して赤穂町となり、さらに 坂越村も町制を施行したことで、赤穂町・坂越町・高雄村・有年村の2町2村となりました。
 昭和26 年(1951 年)には赤穂町・坂越町・高雄村の合併と同時に市制を施行し、赤穂市が誕生 しました。昭和30 年(1955 年)には有年村を合併、さらに昭和38 年(1963 年)には岡山県の福 浦地区を越県合併し、現在の市域となりました。
 昭和40 年代に入ると、製塩方法がイオン交換樹脂膜法へ転換されたことにより、市南部の千種 川河口付近を中心に拓けていた広大な東西両塩田が姿を消し、東浜塩田は、文教住宅地と海浜公園 用地として、西浜塩田は、臨海工業用地として活用されることとなりました。昭和43 年(1968 年) には、住居地域と工業地域の遮断緑地としてグリーンベルト(公害緩衝緑地)の整備が開始され、 昭和52 年(1977 年)に完成しました。また、赤穂城跡の国史跡指定、市民会館の整備も昭和40 年代に行われました。
 昭和50 年代に入ると、昭和55 年(1980 年)には、茨城県笠間市との姉妹都市提携、昭和56 年(1981 年)には、市制施行30 周年を記念した市民総合体育館、現在の市庁舎の整備が行われ、 公共下水道の供用も開始されました。

第3章 まちづくりの基本目標

第1節 都市像

 都市像は、市民、企業、各種団体、NPOなどの多様な主体と行政が協働でまち づくりを進める上で、今後の赤穂市をどのように創り上げていくか、その目標を共 有するために定めるものです。
 今後も魅力あるまちづくりを進めていくためには、社会潮流に的確に対応し た、今後10 年間の新たな都市像を定める必要があります。
 本総合計画では、前総合計画の都市像「水とみどりにつつまれた歴史文化交流 都市」の考え方を基本としつつ、社会潮流や市民の意識を踏まえ、次のとおり都 市像を定めます。

人が輝き 自然と歴史・文化が薫る やさしいまち


「人が輝き」

 市民、企業、各種団体、NPO、行政など、地域におけるすべての主体がまちづ くりの主人公です。それぞれの主体が自らの能力や個性を発揮し、互いに連携す ることで、すべての人が健康でいきいきと暮らすことができるまちづくりを進め ていきます。
 一人ひとりの笑顔がまち全体を輝かせることをイメージしています。

「自然と歴史・文化が薫る」
 緑豊かな山々や清流を誇る千種川、瀬戸内海国立公園の美しい海岸線などの自 然環境、また、縄文・弥生時代の生活を偲ばせる遺跡のほか、赤穂城跡や赤穂義 士ゆかりの神社仏閣、風情あるまちなみが残る坂越地区、江戸時代から続く塩の 生産など様々な歴史・文化遺産があります。これらは、本市の魅力を高める地域 資源であると同時に、後世に引き継ぐべき大切な財産です。
 過去から受け継いだ豊かな自然や歴史・文化を大切にしながら、新たな魅力を 創出し、未来へとつないでいきます。

「やさしいまち」
 市民意識調査では、「医療」、「高齢者福祉」、「子育て支援」、「自然環境」に関する 項目が重要度の上位を占めています。
 また、地区別まちづくりビジョンでは、日頃からの絆やふれあい、自然や歴史・ 文化を大切にする思いが多く見受けられます。
 このため、人に対する思いやりや慈しみのこころを持ち、自然、歴史・文化等 の地域資源を大切にするこころを持つなど、「やさしさ」のあふれるまちづくりを 進めていきます。


第2節 都市像を実現するための5つの柱

 社会潮流や市民の意識を踏まえ、都市像の実現に向けた基本的な方向性を「安心」・「快適」・「にぎわい」・「学び」・「連携」の5つの柱に設定します。

「安心」
安全・安心に生活できるまち
「快適」
自然と共生する住みよいまち
「にぎわい」
産業と交流が盛んな活力のあるまち
「学び」
生涯にわたり夢を育むまち
「連携」
市民と行政がともに歩むまち

第4章 学 び  生涯にわたり夢を育むまち

個性ある地域文化を創造する

歴史・伝統文化を継承し活用する

■現状と課題
 市内各所には、それぞれの地区を特色づける多様な文化財が存在しており、こ れらが総体となって本市の歴史特性を形成しています。これら文化財について は、保全・整備とともに、その継承や活用方策の検討が重要となっています。特 に、赤穂城跡には、本市を訪れる観光客の半数以上が来訪しており、今後、さら なる見所づくりが望まれます。
 また、地域の人々の生活に根づいてきた伝統的な生産技術・民俗芸能・習俗な ど、多様な文化財は、歴史資源としてだけではなく、地域の活性化・世代間交流・ まちづくりなどの起爆剤としての役割も期待され、これらの継承と再興を推進し ようという気運も高まっているところです。
 今後、赤穂城跡と城下町の赤穂地区、近世港町の坂越地区、古代遺跡を中心と した有年地区など、それぞれの地域固有の特長を活かすため、各地区の中核的な 文化財はもとより、多様な歴史遺産の保全・整備を推進する必要があります。
 また、郷土に蓄積された先人の貴重な歴史・文化資料、美術品などの体系的な 収集と保存を行い、最大限に活用するため、展示公開と学習支援機能を持つ文化 財センターの整備が必要です。

基本方針
 地域に根ざした多様な文化財の調査や顕彰を行い、その保護・整備・ 継承を進めます。また、文化に培われた貴重な文化財の保存・活用を進 めるとともに、赤穂城跡・歴史博物館・民俗資料館などの充実・活用を図 り、多くの人々が本市の歴史や文化に親しめる環境づくりを推進します。

施策の展開
@歴史資源の保全整備

●市のシンボルである赤穂城跡を中心とした文化財整備を推進します。
●各地区の歴史的な特長を形成している歴史資源の保全・整備を推進し、多様な歴史資源を持つ都市としての価値を高めるとともに、まちづくりや観光事業にも活用します。

A地域文化財の保存・顕彰と伝統文化の継承・活用

●地域の多様な文化財の顕彰・記録の充実を図るとともに、可能なものについては継承と再興を推進します。
●指定文化財などに標柱や説明看板の設置を進めます。

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巻頭写真1
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−連絡先−
赤穂市教育委員会事務局文化財課文化財係
〒678-0292 兵庫県赤穂市加里屋81番地
TEL:0791-43-6962 FAX:0791-43-6895
赤穂市ホームページ