校区に義士の魂が眠る 赤穂小学校        本文へジャンプ

 本校職員が義士検定に討ち入る? その結果は???
義士教育について                平成22年9月

  四十七士の地元、赤穂市では、史実を正しく理解し郷土愛を育てようと、小中学生を対象にした独自のカリキュラム「義士教育」が続けられています。しかし子どもの関心は年々低下しており、「あだ討ちはいじめ?」と疑問を持つ子も。理解を助けようと下記の絵本 「赤穂義士絵物語 大石内蔵助」まで登場しました。 義士教育は戦前に始まり、戦後も1960年代に復活。毎年12月になると、14日の義士祭までにすべての市立小中学校1回以上は行われます。義士教育は、必ずしもあだ討ちを賛美するものではありません。 本校では 「忠臣蔵の地元の赤穂小学校でも赤穂義士や忠臣蔵の話についてほとんど知らない子が増えている。」との反省のもと、時代の変化にさらされる郷土の誇りや文化を知り、少しでも郷土愛を高めようと義士教育の研究をはじめました。

「四十七士おぼえうた」と義士教育
  赤穂小学校では、ふるさとの文化を理解し、郷土愛を高めることが課題の一つであると捉え、特色ある学校づくりとして、また、人権教育の一環として本年度より義士教育の研究に取り組んでいます。
 こうした中、本校の長安教諭が「四十七士おぼえうた」を作詞・作曲し、全職員の意見も参考にしながら、この度曲を完成させました。 

 「四十七士おぼえうた」
  義士教育で児童の興味・関心が高いのは、あらすじよりも、義士の一人一人の逸話や物語、文化としての「忠臣蔵」の世界にあります。「四十七士おぼえうた」は楽しくくちずさむことにより四十七士の名前を多く覚えることができるようにつくられています。四十七士一人一人の人物像と物語を通して、人の生き方に感銘し、豊かな心を培い、そして、義士ファンになってくれることをねらっています。

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「義士教育」で小学生向け絵本の活用


  史実を正しく理解し郷土愛を育てようと、小中学生を対象にした独自のカリキ ュラム「義士教育」を設けている赤穂市が、小学3・4年を対象にした絵本 「赤穂義士絵物語 大石内蔵助」を作り、小学校に配布しています。年々子どもたちの「忠臣蔵」への関心が低下、また内容を理解できない子も増えているのが悩みでしたが、子どもたちからは「分かりやすい」「こんな話だとは思わなかった」と いう声が上がり、好評です。本校の児童玄関横の「義士コーナー」に拡大して掲示しています。



花岳寺(かがくじ)
 赤穂小学校の校区には、との様のかたきうちをして、切腹(せっぷく)した大石内蔵助をはじめ、赤穂義士(あこうぎし)のお墓があります。

※ 江戸時代初期の正保2年(1645年)、浅野家のお墓があるお寺(菩提寺)として建てられました。元禄14年(1701年)、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家がおとりつぶし(改易)になった次の年、元禄15年(1702年)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きました。(元禄赤穂事件)
 その後、赤穂浪士37回忌に義士のお墓が建てられ、ここに遺髪が納められていると言われています。また、50回忌には義士塚も建てられたということです。
いきつぎ井戸(いど)
 赤穂小学校のちかくに、殿様(とのさま)の刃傷(にんじょう)を早籠(はやかご)で知らせにきた2人の家来(けらい)が、元気(げんき)をつけるために水をのんだ井戸(いど)があります。

※ 主君浅野内匠頭[あさのたくみのかみ]の刃傷を一刻も早く知らせるため、江戸から早かごで四昼夜半を駆け抜き、精根尽き果てかけた早水藤左衛門[はやみとうざえもん]と萱野三平[かやのさんぺい]が城に入るため、一息ついて気力をつないだという井戸です。(当時、江戸から京都までの旅で十二、三日はかかっていたといわれていますので、その早さと二人の心意気が伺えます。)
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)像
 赤穂駅のロータリーには大石内蔵助の銅像が立っています。

※ 毎年赤穂義士が討ち入りを果たした12月14日に「赤穂義士祭」が行われます。赤穂市最大のイベントの目玉である忠臣蔵パレードは、市内小学生による金管バンドパレードを皮切りに、沿道を埋めつくした観客を元禄絵巻の世界へと誘います。お祭りの本部は、赤穂小学校から50メートルくらいの所にあります。