【 阿 弥 陀 堂】
 敏達天皇(第30代)の時代に高麗(今の朝鮮半島にあった国)の恵便法師が,仏教を広めようと3つの阿弥陀如来を伝えた。そのうちの1つを今の西有年に六道山遍照院を建て置いたが,守る者がいなくなって ,約800年の間風雨にさらされていた。嘉吉2年(1442年)「いのちやさん」(今の東地区の井ノ内さん)という人が,この阿弥陀如来を背負って湯の内地区の峠を越えて,今の阿弥陀如来道の場所に安置したのが始まりである。その後代々「いのちやさん」がまつっていたが,今では真光寺が管理している。
 昭和60年(1985年),阿弥陀堂を建て直したとき地中から約1300年前の貝塚(大昔のゴミ捨て場)が発見され,平安時代の土器も出てきた。
 境内には,享保5年(1720年),有年村との争いで村の代表として首を切られた3人を三地蔵さんとしてまつっている。また,明治12年(1879年)に大流行したコレラで亡くなった98人の冥福を祈って建てられた「コレラの碑」や,明治9年(1876年)命をかけて塩屋村を泥棒から守った「宇田勝平の墓」などもある。

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