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D 仕切り
ふつう城郭は、藩邸や天守のある本丸を中心に、二之丸や三之丸などが取り巻く形をしています。
赤穂城は本丸を取り囲むように二之丸があり(輪郭式)、二之丸の北側に三之丸が取りついています(梯郭式)。
赤穂城の場合、城郭の南側は海であり遠浅の海が広がっていることから、大型の船が立ち入ることができず、大砲で攻撃することはもちろん、大軍が南から攻めることは困難でした。
しかし仮に攻め込まれて二之丸の南側まで侵入された場合、本丸への侵入を防ぐ必要がありました。そこで二之丸を南北に分断する「仕切り」土塀が築かれたのです。
東西それぞれの仕切りには東仕切門、西仕切門が築かれ、いずれも発掘調査によって門は南側に開口していることが判明したため、南側から侵入する敵を想定していることは明らかです。明治時代になって、これらの門や土塀は取り壊されましたが、西仕切り土塀、西仕切門については、二之丸庭園整備に伴い、整備されました。