兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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◆コラム◆ 遠くから運ばれてきた土器―有年牟礼・山田遺跡の土器たち

 今年(2012年)の3月、赤穂市教育委員会では赤穂市有年牟礼にある、 有年牟礼・山田 うねむれ・やまだ 遺跡を発掘しました。
 発掘してみると、一辺が20m近くもある四角い形をした墓「 方形周溝墓 ほうけいしゅうこうぼ 」と呼ばれる墓が見つかりました。


これが方形周溝墓です。四角く溝が巡っているのがわかります。

この墓は今から約1,750年ほど前(弥生時代の終わりから古墳時代のはじめ)のもので、ちょうど 邪馬台国 やまたいこく 卑弥呼 ひみこ が生きていた時代の墓です。
 この墓には、土器がたくさん供えられていたのですが、その土器のなかには珍しい土器がいくつかありました。今回はその土器についてお話したいと思います。

 その土器とはこんな土器です。


「器台」という壺をのせるための台です。

 よくみると、粘土の帯を貼り付けたり、丸い穴を開けたり、模様を刻んだりして飾り立てていますね。
 この土器、赤穂市のどこかで似たものを見たことはありませんか?
 実は、赤穂市の有年原・田中遺跡にある「 円形墳丘墓 えんけいふんきゅうぼ 」という丸い形をした墓に供えられていた器台にそっくりなのです。


有年原・田中遺跡の円形墳丘墓に供えられていた土器です。

 有年原・田中1号墳丘墓は、有年牟礼・山田1号方形周溝墓よりも50年以上前に作られた墓で、赤穂では飾り立てた器台を墓に供えるという習慣が続いていたようです。
 2つの墓に埋葬された人々は、同じような習慣を持った人々だったようですね。
 しかし、一方は丸い形の墓(円形墳丘墓)、片方は四角い形の墓(方形周溝墓)です。同じような習慣を持っていたはずなのに、なぜ、墓の形は同じではないのでしょう?
 それを解くヒントも、同じく有年牟礼・山田遺跡から出土した土器にあります。


とても大きな壺です。

いろいろな模様で飾り付けています。

 この土器をよくみると、チョコレートやカフェオレのような濃い茶色をしています。先ほどの器台は白や黄色に近い色でしたね。なぜ、土器の色が違うのでしょうか?
 実は、土器の色は、土器が作られた場所や地域によって違います。赤穂市で作られた土器は白や橙色をしているのですが、大阪府や香川県の一部で作られた土器はチョコレートのような色をしています。また、有年牟礼・山田遺跡の壺は、大阪府の壺と形がよく似ています。
 つまり、有年牟礼・山田遺跡から出土した2つの壺は、大阪府で焼かれたものらしいのです。遠く大阪府で焼かれた土器が赤穂市の墓に供えられていたということは、わざわざ大阪府から土器が運ばれてきたのだといえます。

 これが、なぜ丸い形の墓と四角い形の墓の形が違うのかという疑問を解くヒントになるかということを説明しましょう。
 実は丸い形の墓は赤穂市がある播磨(兵庫県南西部)や讃岐(香川県)周辺で多く発見されています。しかし、四角い形の墓は大阪府や奈良県を中心とした近畿地方で多く造られていた墓の形なのです。
 墓の形が有年原・田中遺跡から有年牟礼・山田遺跡へ、つまり丸い形のものから四角い形のものへ変化したということは、大阪府の墓と同じ形の墓を造るようになった、といえます。

 大阪府と同じような形の墓を造り、そこに大阪府から運ばれた土器を供えていた。
 つまり、1,750年ほど前の赤穂の弥生人たちは、大阪府の人々ととても深いつながりを持っていたことが分かったのです。これまで、弥生時代の赤穂の人々は、隣の岡山県や東播磨の弥生人たちとつながりを持っていたことは明らかだったのですが、大阪府という遠い地域の人々とここまで深いつながりを持っていたことは考えられていませんでした。
 このように、有年牟礼・山田遺跡から出土した土器は、弥生時代の赤穂の人々について、新たな事実を教えてくれました。有年牟礼・山田遺跡は、1,700年以上前の赤穂の歴史を教えてくれる、重要な遺跡といえるでしょう。

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巻頭写真1
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