新指定文化財のご紹介
このたび、平成18年3月30日をもって、2件の市指定文化財が新たに追加されましたので、ご紹介いたします。
真光寺旧蔵・柴原家文書
この物件は、西浜塩田最大の塩業者であり、かつ近世に赤穂藩の御蔵元役として藩財政の一役を担っていた塩屋村大庄屋、柴原家が所蔵していた古文書類です。
時代背景による柴原家の経済的困窮に伴い、古文書類の散逸(さんいつ)を憂(うれ)えた真光寺の住職が譲(ゆず)り受けて保管し、平成11年には赤穂市に寄贈されました。
この古文書は、総点数が1万1千点を越える膨大(ぼうだい)なもので、元和7年(1621)から明治36年(1903)までの長期間にわたるものです。

この文書の中核をなすのは「柴原家年中用事控」で、寛延(かんえん)元年(1748)から慶応元年(1865)まで、およそ120年に及ぶ記録で、その内容は蔵元役として関わった藩財政改革のこと、大庄屋としての役割のこと、天災に関する救済のこと、藩が出した諸法令のこと、塩田地主・塩問屋としての経営に関することなど広範囲にわたっています。
このように、この文書は赤穂藩の財政改革を研究するうえで重要なもので、また地方史研究・塩業史研究の基本史料として欠くことのできないものとして、このたび市指定文化財となりました。
東有年八幡神社頭人行事
東有年八幡神社の起源を示す記録は残っていません。もともと上郡町の竹万(ちくま)に祀(まつ)られていた八幡神社のご神体が、ある年の八朔(はっさく)祭の日に安室川の洪水で流され、現在のお旅所付近の老松に引っかかっていたものが、この地で祀られていたと言われ、のちに現在の神社の土地に移されたとされています。
ご神体が流された方の安室の人々は、有年の人々が幸せに暮らしている様子をみて返して欲しいと要求したが、有年の人々は返さなかったといいます。このような「いざこざ」が何度かあった後、有年地域に伝染病が広まり、これは神の怒りに触れたということで、純真無垢な童子を八幡地の安室へ送って斎戒(さいかい)沐浴(もくよく)させたところ、伝染病はおさまったといいます。これ以来、八幡地の安室へ童子を送る行事が続いているとのことです。
このことから、祭礼の中で頭人が行う行事は大切なものとされ、現在まで継続されてきました。

祭礼に関する記録としては『播州赤穂郡志』(延享4年=1747)にすでに見られ、また神社鳥居には延享元年(1744)の年号が刻まれています。このことから、250年間は続いている祭礼と考えられます。
頭人行事は、おもに八朔(はっさく)祭と秋季例祭に分けられ、トリノコづくり、オハケ立てなど、周辺地域には見られない珍しい風習が残っています。また、現在は行われていませんが、従来は神輿(みこし)を神社のある丘陵頂上まで運ぶ勇壮な祭りがあったようです。
このような頭人の禊(みそ)ぎとオハケが結びついている頭人行事は、全国的にも珍しい行事であることから、市指定文化財となりました。