作成:赤穂市教育委員会文化財課文化財係

御崎地区の歴史文化

■地勢と歴史

地 勢

もともとは三崎新浜村といい、瀬戸内海に伸びる三つの崎から名付けられた景勝地である。東浜塩田の一角を占めており、現在の埋立地も標高で2.5mと大変低く、また平らである。瀬戸内海沿いには流紋岩の岩礁が見え、潮の干満で姿が変わる畳岩や、県内最低峰の唐船山を擁する。

 

歴 史

御崎の古代の歴史は明らかでなく、いくつか古墳が散見される程度である。一方、伊和都比売神社は延喜式にも登場する由緒ある神社であるが、現在の姿になったのは、天和2(1682)年に浅野長矩が社殿を遷した後のことであろう。

御崎地区における塩田の始まりは、正保3(1646)年にさかのぼり、中・東播磨からの製塩技術者の移住に起因するものであることがわかっている。浅野長直が積極的に干拓を行い、東浜塩田は浅野時代にほぼ整備が完了した。

近代になると、塩田の廃止に伴って広大な遊休地が発生した。御崎地区では尾崎地区と同様、石指(イッサシ)の山を削って大造成を行い、住宅地を中心とする文教地区として生まれ変わった。

※このサイトは書籍『赤穂市歴史文化基本構想』をまとめ直したものです。各項目をクリックすると、PDFファイルが開きます。

■歴史文化の視点

■地域データ

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