作成:赤穂市教育委員会文化財課文化財係
地 勢
坂越を天然の良港、船の風待ち港として発展させたのは、全長約2km の円弧を描く坂越湾と、その湾内に浮かぶ生島の存在である。また、千種川東岸から鳥井坂を越えて坂越湾へとつながる大道の存在は、高瀬舟による物資流通の拠点としての役割を与えた。
さらに、坂越湾を見下ろす宝珠山には大避神社をはじめとした神社仏閣が集中しており、江戸時代の港町としての景観が、現在も凝縮してあらわれている。
歴 史
古くは5 世紀の古墳が点在し、漁業を生業とした集団の存在が推定されているほか、聖徳太子の重臣、秦河勝の生島漂着伝説が残る。
坂越湾周辺を記した古文書としては、「坂越庄」として久寿元(1154)年の記事が見られ、このころには船や航海技術をもった集団の存在が推定されている。また、文安2(1445)年には坂越の船が兵庫北関へ入船した記録があり、中世から港町として栄えていた。
江戸時代には「坂越浦」、「浦方」と呼ばれ、西廻り航路の寄港地として栄えたが、北前船にその主導権を握られた後は、赤穂の塩を江戸や上方へ運ぶ塩廻船として生き残った。近代には製塩の副産物を活かした化学工場の進出に伴い、その輸送手段としても活躍した。近年は、歴史的景観や牡蠣の養殖で知名度を上げている。
※このサイトは書籍『赤穂市歴史文化基本構想』をまとめ直したものです。各項目をクリックすると、PDFファイルが開きます。
坂越湾周辺地区の歴史文化
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