兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
−赤穂城跡、赤穂の歴史民俗、文化財、観光、名所旧跡、遺跡、発掘調査、考古学などなど−

国指定文化財
旧赤穂城庭園: 本丸庭園・二之丸庭園
きゅうあこうじょうていえん ほんまるていえん・にのまるていえん

区分
記念物
種別
名勝
数量
24,912.58u
所有者
赤穂市
指定年月日
平成14年9月20日
説明
 赤穂城は、正保2年(1645年)赤穂に入封した浅野長直によって、慶安元年(1648年)から寛文元年(1661年)にかけて築城された平城で、往時は城郭南半分が瀬戸内海に面する海城であった。千種川上流から取水された上水は、城内および城下町の各戸にまで給水され生活用水にとどまらず、城内各所の池泉へも供給されていた。

 本丸庭園は、御殿南面の大池泉、中奥坪庭の小池泉、本丸北西隅の池泉が設けられており、発掘調査後、検出した遺構を整備により、公開されている。
 大池泉は岬・中島・景石などを配し、池底には板石や瓦を幾何学的に敷き並べたり、砂利を敷くなどの化粧が施され、3期程度の作り替えの状況が検出されており、その変遷がわかる形で整備されている。床面復元整備建物と一体となって、当時の庭園空間を彷彿とさせる。中奥坪庭の小池泉は、東西に並列する2つの小池で構成され、水はまず西側玉石敷きの池泉を流れて東側舟形淀みへと注ぐ。水は暗渠で大池泉とつながっている。池泉の護岸周囲は漆喰仕上げに玉石を配した霰こぼし状となる手の込んだ仕上げである。西北隅の池泉(くつろぎ池泉)は、絵図等からは知られていなかったもので、「大石内蔵助」「浅野内匠頭」など人物名を記す木簡が出土した。くつろぎ池泉は、板石貼付護岸で板石敷きの南側方形池と、素掘りで汀線部のみ礫石敷詰めの北側楕円形池からなる。

 二之丸庭園は、本丸門前に占地する大石頼母助屋敷南部から二之丸西仕切にまで至る池泉からなる大規模な庭園で、屋敷部が流れの池泉であるのに対し、南西部池泉は水深が深く、船遊びが可能な雄大な規模を有する。赤穂に配流されていた儒者山鹿素行は「船に乗り錦帯池に遊ぶ」と記している。流れと池泉の間には若干の水位差があって区分され、鑑賞的な庭と、回遊的な船遊びを主とするダイナミックな庭園という、内容の異なる庭園が連続して二之丸庭園を構成していた。流れの庭は、池底に玉石あるいは板石を敷き詰め、極めて人工的に化粧された流れを形作り、入り江の先端に取り付いた給水口からは上水が注がれてのびやかな様をなしている。大池泉錦帯池は、池自体が大きく開けて2つの中島が配され、橋の遺構も確認されており、自然的風景と船遊びを楽しむ空間となっている。
 本庭園は以上のように、本丸二之丸一体となって保存される初めての大名庭園であり、かつ江戸期の庭園利用の一端がわかる極めて重要なものである。

参考文献
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書1』 赤穂市教育委員会 昭和59年
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書2』 赤穂市教育委員会 昭和60年
『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書3』 赤穂市教育委員会 昭和61年
『赤穂城跡二之丸庭園錦帯池発掘調査概要』 赤穂市教育委員会 平成14年
『名勝赤穂城跡二之丸庭園整備概要報告書』 赤穂市教育委員会 平成20年
『名勝赤穂城跡二之丸庭園整備概要報告書2』 赤穂市教育委員会 平成25年

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巻頭写真1
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