兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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市指定文化財
有年家長屋門
ありとしけながやもん

区分
有形文化財
種別
建造物
数量
1棟
所有者
個人  
指定年月日
平成15年4月22日
指定番号
41
説明
 市内に残る江戸期の長屋門は、大石良雄宅跡長屋門、近藤源八宅跡長屋門及び有年家長屋門のみとなっている。本長屋門は、主屋と一体となって赤穂藩の庄屋の屋敷構えを残す貴重な文化財である。
  1. 構造
    • 形 式 : 木造平屋。
    • 屋 根 : 一部ツシ二階、入母屋屋根、妻壁漆喰塗り、桟瓦葺き、(当初は筋葺きカ)長屋部分背面に土庇。
    • 規 模 : 桁行5間(33尺6寸。ただし1間=6尺6寸)、梁間2間半(16尺4寸)、平面土庇の桁行3間、梁間半間。
    • 構 造 : 正面は打ち込みハギの石垣上に土台建,背面礎石建、和小屋組。
    • 外 壁 : 大壁白漆喰塗り、門回りのみ腰壁立板張り、軒裏白漆喰塗り、背面庇桁杉丸太、化粧垂木。
    • 開口部 : 正面ガラス戸(当初は不明)、ツシ二階二本切子平格子、背面一筋敷居鴨居打ち雨戸締り戸袋収め。
    • 門回り : 両開き扉脇戸付き、八双金物、釘隠。
  2. 建物の年代
     本遺構は庄屋の屋敷構えの一部をなす長屋門である。
    主屋は、縦割り6間取りに角座敷をもち、土間上の梁を整然と井桁に組む構法など18世紀中期ごろみられる大型民家の特徴を備えている。主屋の建設年代は伝聞にも寛政11年の着工という18世紀末期ごろの建物と考えて間違いないものと思われる。
     文化年間には屋敷内の天神や表門、長屋門が建設されたと伝えられており、保存されている文化文政期の古瓦からも、この時期に屋敷内の付属屋が建設されたことを裏づけている。長屋門の建設年代をこの時期においてよいと考えられる。
     長屋門の規模は桁行5間に梁間2間半で長屋門として標準的なものといえるが、本遺構は高さ約8尺の石垣の上に建ち、白漆喰の練塀、納屋と並び建って庄屋屋敷の格式を強く印象づけている。江戸時代は、1間を6尺5寸とするが、本遺構では6尺6寸を用いており、この点は特異である。
  3. 現状と復元
     長屋部分の二階から門部分にかけて小屋組部材の一部に火災の跡があり、現状の長屋西側の居室部分はその後に改修されたものと思われる。近年にも垂木から上部の屋根全体が改修され、門回りも門柱、人見梁、桁、両大扉、脇戸が新調されており、また外壁には補修がなされ、旧状が失われた部分が多い。ただ、門回りの改修は冠木や桟梁に当初材が残っており、ほぼ当初形態を踏襲していると判断される。また当初の屋根の形式も主屋の形式に倣って桟瓦筋葺き、棟飾りに鳥伏間を置いたものとみて間違いないであろう。
     長屋部分の正面の門脇は柱の残存部材から出格子と復元できる。しかし、正面の柱列には加工穴を隠す薄板のカブセがあり、外観調査だけでは当初の形態を復元することは困難である。カブセは貫穴を隠すことが一般的であるので、ここは現状の大きな窓ではなく、与力窓のような小窓であったと考えられる。
     長屋の背面は柱を除去して居室に改修していることもあり、当初の形態は外観調査だけでは不明である。しかし、柱列のカブセの撤去や一部大壁の除去、また床下の発掘などによって痕跡を精査すれば、ほぼ当初の形態を復元することは可能であると考えられる。


(上記は指定時の文章です)

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巻頭写真1
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