兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-
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市指定文化財
塩屋荒神社屋台行事
しおやこうじんじゃやたいぎょうじ

区分
無形文化財
種別
風俗慣習
数量
所有者
塩屋屋台保存会及び塩屋西屋台保存会
指定年月日
H.28.8.31
指定番号
62
説明
1 塩屋地区の沿革
 塩屋地区は、赤穂城下の北西に位置し、赤穂西浜塩田の中心だった塩屋村に属した。塩屋の地名は、文安2年(1445)「兵庫北関入船納帳」を初見とする。同地区における製塩の歴史は古く、堂山遺跡から弥生時代の製塩土器の他、平安時代から鎌倉時代前半にかけての塩田遺構が出土した。中世には、東大寺の荘園「石塩生庄」があった。「塩屋村のはじまりは鱧谷(ハブ谷)よりの出村」といわれ、荒神社が鎮座する正面荒神社山(正面山)の山麓から海辺へ進出、製塩のための「潮屋」に住み始めたのが村名の由来と伝わる。宝永3年(1706)には塩浜44町余、塩焼竈屋敷77があった。大庄屋は柴原家の世襲で、浜野屋を名乗った。同家は江戸中期から明治39年に没落するまで西浜塩田最大の塩業者であり、廻船業も営んだ。荒神社には同家の名前が見える石造品、絵馬などが多く残り、屋台についても塩屋西地区が屋台を新調したとき柴原家に披露したが、同家の前で塵を払ったことから当主が激怒、東地区に屋台購入の資金を与えたという伝承が残る。
「大道」と呼ばれた備前街道が通り、地名にも「東大道」「西大道」が見える。かつては、屋台の巡行路も備前街道を中心としていた。備前街道沿いの西町、真光寺を中心とする東町、その南に位置する向町という三つのマチが古くからあり、向町には船で塩を運ぶ上荷(上荷さし)の人々が住んだ。強固な共同体意識を持ち、近年まで「上荷の屋台」があり、倉もあったという。御崎・伊和都比売神社、尾崎・赤穂八幡宮にも上荷の屋台があった。現在の荒神社の氏子域は、東・向・西・西北・新町。昭和30年代に入って製塩業は衰退、塩田は消え、農地には住宅が立ち並び、田園風景が広がっていた塩屋地区の景観は大きく変貌した。

2 塩屋荒神社について
塩屋荒神社の祭神は素盞鳴命、境内社として若宮・金毘羅・塩竃・伊勢の各社を祀る。伊勢は明治初め、若宮・金毘羅・塩竃は明治42年の合祀で、現在7月15日に合社祭りを行う。江戸時代は「正面荒神」と称した。その初見は延宝3年の再興時の棟札である。明治になって「荒神号之処、御一新ニ付素盞鳴神社ト改号」した。明治14年の「村社加列願」には、秦河勝が赤穂郡坂越浦に隠遁したとき当地に勧請したという由緒が記されている。創立年代不詳とされるが、江戸時代前期に赤穂開発により神社を創祀、浅野時代に塩屋村が発展して神社も大きくなったとも伝えられる。「正面道」とも呼ばれる参道は、文久2年柴原氏が寄付したと伝承されるが、文政13年に同氏が「荒神宮道」「荒神宮新道」を寄付した文書があり、屋台が通る参道の歴史はより古いと考えられる。お旅所はなく、神輿も有しない。 
荒神社の祭礼については、「柴原家文書」に記述が残る。もっとも古い記録は天保10年9月15日で、柴原家当主が例年通り祭礼に「拝礼」したこと、獅子舞が来たこと、芝居があったことが記されている。同15年9月15日には獅子舞が来たので例年のように酒を出したこと、荒神社の舞台(舞殿のことか)前で「花躍」として芝居が行われ、子供が見物に行ったことが記されている。弘化3年、万延2年、文久2年にも獅子舞が来た記録がある。現在は保存会によって獅子舞が行われており、屋台行事の参加者とは重複しない。獅子は神社の所有である。屋台の初見は文久2年9月15日で、「祭礼ニ付当年ハ家たい五ツ出来、賑々敷事也」とある。また、この年に「ふとん屋台」が購入された。同3年には「祭礼家たい六ツ」になり、慶応3年、同4年の記録にも6台の屋台が出ている。なお、塩屋村は尾崎・赤穂八幡宮の氏子でもあり、その祭礼について「たんしり(ダンジリ)」が出た記述が残る。

3 屋台行事について
明治時代までは江戸時代と同じ9月15日が祭日だったが、昭和13年(1938)『兵庫県神社誌』では10月25日となっており、近年までこの日に行われていた。現在はそれに近い土曜・日曜に宵宮・本宮を執行する。
かつては東・西・向・新町に大屋台1台ずつ、東・西に子供屋台1台ずつ、合計6台の屋台があり、このうち向の大屋台が上荷の屋台だった。現在は昭和63年に結成された塩屋西屋台保存会(西・西北)、平成8年に結成された塩屋屋台保存会(東・向・新町・大町)によって屋台行事が奉納されているが、昭和30年代までは青年団が屋台行事の主体だった。その後、かつての青年団を中心に自治会によって運営され、現在は保存会の形で継承されている。両保存会とも、指揮者・棒端・音頭などを務めた屋台経験者が重要な役割を担っている。
塩屋屋台保存会は、大屋台(明治31年)、中学生男女が担ぐ1号屋台(明治時代)、小学生男子が担ぐ2号屋台(昭和49年)、小学生女子が担ぐ3号屋台(平成3年)の4台を有し、児童公園内の屋台格納庫に保管している。塩屋西屋台保存会は、大屋台(明治29年)、小学5・6年男子の担ぐ布団屋台(明治29年)、小学3・4年生男子が担ぐミニ屋台(昭和48年)、中学生女子が担ぐ子供屋台(昭和61年)、小学4・5・6年生女子が担ぐミニ子供屋台(平成18年)の5台を有し、屋台倉に保管している。屋台を担ぐものは「担子(かえこ)」、太鼓をたたく者は「乗り子」と呼ばれる。
   平成27年の秋祭りは、10月24日(土)・25日(日)に行われた。概要は下記のとおりである。
塩屋東地区では7月20日から、塩屋西地区では8月30日から子供屋台役員の会合など準備が始まり、9月に入ると乗り子(中学生男子)や音頭(子供)の抽選や選考が行われ、小学生の音頭・太鼓の練習が始まった。宵宮の日も含め、10回前後の練習があり、経験者によって厳しく指導される。東地区は10月15日に屋台倉あけ、西地区は10月1日に屋台倉開きがあり、担子などの衣装が配布された。10月中旬には大屋台の音頭、太鼓の練習も始まり、最終打ち合わせを経て10月24日の宵宮を迎える。なお、現在使われている紙手棒は平成になって取り入れられたもので、姫路へ作り方などを習いに行ったという。担子の衣装(法被・鉢巻・まわし・タレ(サガリ)・地下足袋)は戦前からほぼ変わっていないが、乗り子が中学生になったのは近年のことで、西では4人とも新婚の男性で嫁の長襦袢を着た、東では高校生の時に母親の長襦袢を着たという話を聞いた。
24日、東は午前8時に倉あけ、西は午前10時に倉出しが行われたが、宵宮の屋台巡行は午後から町内を巡行するのみである。25日は、午前7時半に荒神社で神事があり、屋台責任者など役員や太鼓の乗り子は列席した。倉出しはいずれも午前8時で、それぞれ出立式を30分程度行う。大屋台、子供屋台が各地区を巡行し、阿弥陀堂など決まった場所で休憩を取る。各所で、屋台の練り、差し上げ、子供屋台の練り合わせなどが行われる。国道を横断し赤穂線の高架下を通るが、このとき大屋台にソリと呼ばれる金属器具を履かせ、一気に滑走して潜り抜ける妙技を披露する。往復で2回行われる。宮入りは、東地区、西地区が交代で「先番」「後番」を務める。平成27年は東が先番だった。荒神社社務所前で獅子舞が奉納された後、午後4時ころから神前で屋台奉納が始まる。宮入りした屋台は1台ずつ境内を回り、練りと差し上げを披露する。大屋台の差し上げが最大の見どころであり、平成27年は両大屋台が14回の差し上げを行った。例年、10回以上となっている。
 
4 意義と価値
 大阪湾沿岸から瀬戸内海周辺に及ぶ一帯には「ダンジリ」「屋台」などと呼ばれる囃子屋台が広範囲に分布し、播磨地方はその一角を占める。飾り金具、欄間彫刻、幕・高欄掛けなどに意匠を凝らした太鼓屋台が激しく練りあう祭礼が集中し、播磨地方の祭礼の代表的存在となっている。播磨の太鼓屋台は神輿屋根型と布団屋根型に大別され、赤穂市は神輿屋根型の分布域に属すが、塩屋荒神社では子供屋台1台が布団屋根型となっている。また、屋台祭礼は練り合わせ型と練り型に分かれるが、塩屋は後者に属する。子供屋台では練り合わせが行われるが、中心である大屋台は2台が並んで練り、差し上げを行うことはあるが、他地域で見られる激しい練り合わせは行わない。見せ場となるのは、伊勢音頭を基調とする屋台音頭に合わせて行われる練りと差し上げである。とりわけ、担子が囃子ながら行う差し上げは一番の見どころとして見物の人々の拍手が沸き起こる。塩屋では、祭りだけでなく祝宴の最後には必ず屋台音頭が唄われるという。巡行中も練りや差し上げの時も途切れることなく屋台音頭が唄われており、優美な印象を残す屋台行事である点が他にない大きな特色となっている。
平安時代に京都の大社寺で盛んになった風流の練り物から、祇園祭のような曳山の山車が各地に広がり、やがて多くの人が参加できる舁山が登場、播磨では海岸部を中心に河川の流域である内陸部にも屋台祭礼が浸透していった。都市祭礼における神賑行事から生まれた祭礼文化の一つが播磨の屋台祭礼であり、趣向を凝らした特色ある屋台行事が各地に見られる。その分布は濃密であり、赤穂市内にも戦後間もない頃までは多くの屋台があったとされる。しかし、現在は、約30の赤穂市域における秋祭りの中で屋台行事を伴うものはごくわずかである。東有年八幡神社、赤穂八幡宮、伊和都比売神社、塩屋荒神社の4ヵ所のみであり、貴重な事例となっている。
東有年八幡神社は1台(神輿型)、赤穂八幡宮は3台(神輿型)の屋台が出るが、いずれも赤穂市の無形民俗文化財となっている頭人行事が主となっており、屋台行事の比重は小さい。伊和都比売神社は2台(神輿型)を持つが、子供屋台2台のみである。塩屋荒神社の場合、東・西の大屋台、子供屋台とも明治にさかのぼる歴史を持ち、初代松本義廣の彫刻や三代目絹常の刺しゅうなど、文化財的価値がある屋台を維持している。屋台蔵に保存されている資料(墨書銘のある旧屋台擬宝珠の柱、墨書銘のある天井板など)も、今後永続的に保管するべき価値を有している。以上の点から考えて、塩屋荒神社の屋台行事は赤穂市の無形民俗文化財として指定に値すると考える。


(上記は指定時の文章です)

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巻頭写真1
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