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■赤穂城跡のみどころ
B 大石良雄宅跡〜近藤源八宅跡長屋門
■大石良雄(内蔵助)宅跡
大石家は代々浅野家に仕えた重臣で、赤穂入封から断絶まで家老として大手門西側に屋敷地を構えていました。
屋敷は間口28間(約42m)、奥行45間(約90m)余りの広さを誇り、池泉も備えていました。
いわゆる「赤穂事件」では、元禄14年(1701)の刃傷事件を知らせる早籠が、この門を叩いたとの逸話が残されています。
屋敷地は「大石良雄宅跡」として大正12年(1923)3月7日に国史跡として指定されています。
現在、屋敷跡は大石神社境内となっていますが、道路に面して、城内に残る数少ない江戸時代建築である長屋門が残されています。
昭和54年(1979)には長屋門の解体修理が行われました。
■近藤源八宅跡長屋門
赤穂城の設計を担当した近藤三郎左衛門正純の子、近藤源八正憲の屋敷の長屋門です。
近藤源八は、父の跡を継いで甲州流軍学を修め、浅野家の軍師として1,000石番頭の重職にありました。
間口33間(約66m)、奥行き31間(約62m)の広大な屋敷の中で、現在は道路に面した長屋門の約三分の一が残されています。
この長屋門も、城内の数少ない江戸時代建築であり、平成10年(1998)に赤穂市指定文化財となり、復元整備されました。
現在は、土日祝日に建物内部の公開が行われるとともに、赤穂城ガイドボランティアの詰所となっています。
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