■赤穂城跡のみどころ

E 武家屋敷公園〜桜の苑〜二之丸門跡〜山鹿素行銅像

 ■武家屋敷公園・桜の苑
 清水門の西側にあり、浅野時代には坂田式右衛門の屋敷があった場所です。
 昭和58年(1983)に門と瓦葺き土塀が整備され、敷地内には武家屋敷をイメージした間取りモニュメントが設置されています。
 井戸屋形や四阿(あずまや)なども設けられ、隣接して桜の園が整備されています。
 ■二之丸門跡
 門は桁行4間半、梁行2間、建坪9坪の規模であったといわれますが、明治初期の写真を残し、現在は失われています。
 平成14年(2002)に門前の蔀石垣の発掘調査が実施され、平成25年に整備されました。
 また令和3年には門北側の石垣が発掘調査され、二之丸門周辺の構造が明らかになりました。
 二之丸門については、山鹿素行が自ら手を加えて手直しをしたとの日記が残されており、それを裏付ける調査成果も挙がっています。
 なお近くには、赤穂城の築石であり叩くと「かんかん」と音が鳴る「かんかん石」があります。
 
 ■山鹿素行銅像
 江戸時代の儒学者であり兵学者であった山鹿素行は、浅野長直に1,000石で招聘され、江戸で赤穂藩士に文武を講じていました。
 また赤穂城築城中には二之丸門付近の縄張りを一部変更したとの記録があります。
 その後、寛文6年(1666)に著書『聖教要録』により幕府を批判したことから、赤穂藩へ配流の身となりました。
 赤穂では、赤穂城二之丸にあった大石頼母助屋敷の一角で、8年あまりの謫居生活を送りました。
 赤穂城二之丸庭園「錦帯池」で、藩主とともに遊興した記録も残されています。

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