作成:赤穂市教育委員会文化財課文化財係

西部地区の歴史文化

■地勢と歴史

地 勢

赤穂市西部の一角を占め、岡山県と接する地域で、折方、鷏和、福浦がそれにあたる。福浦はかつて岡山県に属していた。

江戸時代に大規模な干拓が行われるまでは海が深く入り込んだ入江地形を呈し、特に福浦は「九艘泊」、「大泊」、「船隠」といった地名からも船の停泊する津としての役割をもっていたと考えられる。江戸時代になると干拓によって塩田や水田が整備され、現在のような平地が続く地形となった。

なお福浦一帯の山々では、赤穂市全体を覆う「赤穂コールドロン」の痕跡がよく視認できる。

 

歴 史

現在のところ、西部地区に古代遺跡はほとんど見つかっておらず、古墳が散見されるのみであるが、今後の詳細分布調査が待たれよう。

中世になると、折方、鷏和には貝塚が見つかっているほか、福浦は宇喜多氏領有の頃に干拓が進み、寺院も建てられていたという。江戸時代になると、福浦では岡山藩津田永忠による第1 次干拓が寛永元(1624)年、第2 次干拓が天和2(1682)年にそれぞれ行われ、福浦新田村が生まれた。折方については、浅野長直が行った戸島新田の干拓によって広大な水田が出現したほか、西浜塩田の一角を形成して赤穂塩田を支えた。鷏和は、近代になって耕地整理や藤原新田の開発が行われ、耕地が整備された。

なお、鷏和の地名は明治9(1876)年に真木村と鳥撫村が合併する際、それぞれの頭字をとって「鷏」とし、「和」を付して名付けたものである。

福浦は昭和38(1963)年に岡山県日生町より越県合併、赤穂市となった。

※このサイトは書籍『赤穂市歴史文化基本構想』をまとめ直したものです。各項目をクリックすると、PDFファイルが開きます。

■歴史文化の視点

■地域データ

PDFダウンロード

PDFダウンロード

PDFダウンロード

Copyright  2018 ako city board of education All Rights Reserved.

〒678-0292 兵庫県赤穂市加里屋81番地 0791-43-6962

※本Webサイトに掲載している情報の著作権等の知的財産権は、赤穂市教育委員会に帰属します。

Webサイトの内容について、私的使用又は引用等、著作権法上認められた行為を除き、本市に無断で掲載等を行うことはできません。

引用を行う際は必ず出所を明示してください。