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G 刎橋
赤穂城の二之丸に「仕切り」があることにはすでに触れました。これは、海側からやってきた敵兵が二之丸に入ったとき、本丸の周囲が包囲されないように、との配慮から築かれたと考えられます。
二之丸から本丸へとつながる門は、本丸門、厩口門、刎橋門がありましたが、二之丸南半部から本丸に直接つながる門は刎橋門だけでした。この門は刎橋になっていましたから、戦時には橋を上げたままにすることによって、本丸への侵入を防ぎました。
一方、北側から攻められたときは、逃げ道として想定されていた可能性もあります。甲州流軍学により築かれた赤穂城は、このような軍略を形にした城郭と言えます。