国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト


 ■赤穂城跡のみどころ

G 刎橋

 赤穂城の二之丸に「仕切り」があることにはすでに触れました。これは、二之丸に敵兵が入ったとき、本丸の周囲が包囲されないように、との配慮から築かれたと考えられます。

 しかし二之丸仕切り門が破られたとき、本丸は攻め落とされ、逃げ場がなくなってしまうのでしょうか。

 実際には、本丸には3つの出入り口があり、北側は本丸門、東側は厩口門、南側は刎橋門と呼ばれていました。
 本丸門と厩口門は、いずれも仕切りの北側にありましたが、刎橋門だけは仕切りの南にあり、しかも木橋になっていました。

 緊急時、二之丸が攻め込まれ、本丸が危機に陥ったときには、本丸南の刎橋門から逃れて橋を切り落とし、水手門から船で瀬戸内海へ逃れることができたのです。

 甲州流軍学により築かれた赤穂城は、このような軍略を形にした城郭と言えます。


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